101.ブルゴーニュの老舗、北海道に進出?
2017/03/03
2017/1/17付、ワインジャーナリスト山本昭彦氏配信のワインニュースで知りました。ピュリニー・モンラッシェを所有するエチエンヌ・ド・モンティーユ氏が函館市近郊に10~15haのピノ・ノワール畑とワイナリーを計画しているとのこと。とてもびっくりしました。何故と言って、本州に一番近い渡島半島一帯は、ワインぶどう栽培に於いて或る歴史を持っているからです。
確か1980年だったと思いますが、私は函館市七飯町にある函館ワインの部長氏に請われて、77年に西ドイツより私が持ち帰ったワインぶどうの枝(専門的には穂木[ほぎ]と言います)をおすそ分けしました。氏はそれから作った苗を余市町に植えるというのです。結果80年代~90年代と函館ワインは、余市町に7軒の委託栽培農家を組織して総計4~50haのワインぶどう畑を経営することとなりました。どうして自分の会社の近くである函館地区に植えないのか尋ねたところ、実の成りが悪いということで、それ故わざわざ200kmも北の余市地区に大きな畑を展開したのだそうです。初夏の開花時に発生する霧と、冬場の少雪ゆえの凍害が大きな原因だと聞きました。
時代は下がって1990年代半ばに、当時新潟に居た私は、乙部ワイン(半島の丁度真ん中)の飯田氏と交流するようになりました。彼は山ぶどうそのものを栽培して、ワイン作りをしようとした人です。池田町の丸谷町長の書いた「ワイン町長奮戦記」に刺激されてのことです。山ぶどうからこそ最上のワインが出来ると。丸谷氏が悪い訳ではなく、きっと飯田氏の誤読・誤解だと思います。何故と言って野生のぶどうから良いワインなど出来るハズもなく、栽培だって至難のワザです。山ぶどうは酸味が非常に強く、糖度も低く、収穫量も極く極く僅かだからです。私は彼に相談を受けて、すぐ欧州系の普通の品種に切り変えるように勧めました。それでもその後の彼の場合も、函館ワインと同様の理由(霧と凍害)で畑はうまく行かなかったと聞いています。
更に私自身の経験も。小樽のワイン会社の栽培責任者として、島牧と虻田(あぶた、現洞爺町)にワインぶどうを植えてみました。半島の付け根、東西の2点です。ここも霧ゆえの、受精不良の傾向が見られました。もっとも、虻田町でのワインぶどうの栽培を諦めたのは、有珠山の噴火が主因でしたが。
私自身の結論ですが、北海道というエイの形をした大きな島の尻尾に当たる渡島(おしま)半島はワインぶどうの栽培には不適なのではないでしょうか。果たして専門的なデータが北海道庁にあるかないかは分りませんが、以上私が述べた諸条件をきちんと検証した上で外国の人には土地を勧めなければ、後々由々しき事態を招かないとも限りません。転ばぬ先の杖と申しましょうか。