112.マルチリンガルのミル
2017/08/07
ドイツのワイン学校時代の一期上にカミーユ・シュラームという仲々の美青年が居て、入学早々友達となりました。ファーストネームが典型的なフランス名で姓がドイツ風。そうです、彼の家はルクセンブルグにありました。フランス語がとても上手でした。(当り前です、母語ですから。)
失礼な言い方かも知れませんが、ヨーロッパ大陸で何処といって一番ごちゃごちゃしている地域に、周りをベルギー、フランス、ドイツに取り囲まれた形で一都市一国家のようにこの国があります。国際経済・金融都市(国)ながら、郊外には農地も広くあります。そしてきっと合計10軒はないと思われるワイナリーの一軒が彼の家。決して小さくはありません。
二十歳をちょっと過ぎたばかりの良家のボンボンと私。私は決して良家の出身然とはしていないものの、端から見れば、どちらも頼りなさそうなお兄ちゃんが二人で、しかも彼の運転する“deux chevaux(ドゥーシュヴォー=2馬力)”の異名を持つシトロエンの軽乗用車で出掛けたのですから、思い出すだにニンマリしてしまいます。私の住んでいた学校の町とルクセンブルグは、しかし意外と近く300km弱。玄関で出迎えた御両親の風貌や風格も貴族的で、ちょっとたじろぎはしたものの、生れ付き気遅れとは無縁な私ゆえ、きちんと御挨拶しました。気遅れしないコツ、それは自己を卑下せず自分の能力に自信を持つこと。(幸いドイツ語の会話能力にはかなり自信を持っていましたし、シュラーム家は全員マルチリンガルでした。)
ここでちょっと横道に外れて、風貌、外観のこと。両親の顔立ちとは大きくかけ離れた器量の娘さん息子さんに会うことが時々ありますが、そのような時、頭を横切る考えは次のようなもの。このお母さん整形美人かしら、それとも本当の父親は違う人なのかしら。いや両親は突然変異で器量が良く、子供達には先々代の形質が復帰したのかな、とか。きっと理由はきちんとあるハズです。人生も最終楽章を生きる身としては、なんでもひとつひとつ結論付けながら自分の頭の中を整理しておきたい。そんな感じですので、こんな考え方をするのでしょうか。
さて、ルクセンブルクの大きなワイン醸造所とぶどう畑を持って、ちょっとした邸宅に住むシュラーム家の御当主夫妻。学友のカミーユ君(ニックネームはミル)の話では姉が二人居るとのことなので、さぞや清楚な美人が、と胸をときめかせました。台所で特別な夕食の仕度をしていた20代半ばの下のお姉さんも、夕食事に帰宅した上のお姉さんも映画雑誌「スクリーン」から抜け出して来たような超美女だったのには驚きましたが、どちらもフィアンセ同伴でしたので、こちらの胸のときめきはそこまで。下のお姉さんがこしらえた肉料理に手製のコロッケと、生ニンニク汁をたっぷりとかけた青葉サラダの味は、いまだに記憶に残っている程の美味しさでした。
この家に3泊していた或る夜、年末の大パーティーが大樽の居並ぶワイン蔵で開かれました。2m以上の高さの大樽の上部の口から細長いゴムチューブが固定して垂らしてあり、地上1m位のチューブの端はクリップではさんであります。200名近い招待客は各々左手にワイングラスを持ち、クリップをつまみながらグラスに好きなワインを注ぐのですが、何しろ相手が数千リットルの樽ですから、しかも何十もの樽の6つ8つにはそのゴムチューブが下がっているのですから、豪快です。いくら飲んでも決して無くなりません。料理もふんだんに用意されていて、全員夜通し飲み明かそうという雰囲気で、実際翌朝まで殆どの人々が居残り楽しみました。
ドイツのワイン地帯では5月下旬に三日三晩飲み食べ続ける催しがありますし、ミュンヘンのビール祭であるオクトーバーフェストでは2週間丸々あの大テントの中に居続ける豪の者も居ると聞きますが、シュラーム家の年一回のこのパーティーも人々に伝えるべきもの、と時々思い出します。現在ではこのミル君が当主と聞きますから、近いうちに訪ねてみようかと思っています。きっと喜んでくれると確信しています。
お前の所でもそれをやれ、と言われても日本の法律(酒税法)上、製造途中のワインの飲み放題のパーティーは御法度です。ちょっぴり残念ですね。ディオニュソス神話にある乱痴気パーティーみたいで宣伝には打って付けなのですが…。