14.「ワインとはどんなものか」
2015/06/19
ご存知の通り私はソムリエではありませんし、ワイン評論家でもありません。更に言えば、名の知れた栽培家(Viniyard manager)でも天才醸造家(Wine Maker)でもありません。世界中物凄く沢山いる「単にワインを作り続けている」人間に過ぎません。今回はその立場で物を申しましょう。
余りうまく説明出来ないかもしれませんが、我が国でどうしてこうも変テコリンな「ワイン作り」が横行しているのか考えてみます。ワインが単にお酒の一種と捉えられている日本に対して、ワイン発祥地ヨーロッパでは、どうも違うものとして位置付けられているように思われます。地域の風土に根ざした文化、そんな風に人々に受け容れられているのではないでしょうか。近年それを受け継いだアメリカやオーストラリアも、自分のワインを自分達の文化にまで高めようとしています。正確には「ワインを」ではなく「ワイン作りを」、そして「ワインの楽しみ方を」です。
何度も言いますが、ワイン醸造所はワインぶどう畑の只中にあるべきです。気候と土壌を或る程度共有した多くのワイナリーが、ひとつの村、ひとつの町に多数共存すべきです。この多数居並ぶワイナリーの醸造を担当する人々は自分の畑やぶどうのことを熟知すべきです。そして、その異なる醸造担当者ゆえに、又彼等が選択する醸造機械や醸造手法の違いにより、更にはもっと重要なこととしてワインぶどうそのものの味の違いにより、同じ村でも微妙に味の異なるワインが幾つも出来上がります。
芸術とは少し似ていましょうが、正直言ってそれ程深刻な姿勢ではワイン作りは行われていません。自分の身を削るようなことまでしなくていいのです。先日、「伝説のワイン作り人」(と私が勝手に誤解していた)、カリフォルニアはセントラル・コースト地区のジョッシュ・ジェンセン氏を目近かに見ながら彼の講演を聴きました。申し訳なくも、ただのオッサンでした。別に貶しているのではありません。周囲(彼のワインを扱っている商社)が囃立てている程特別なことをしているのではなく、単に1970年代初めのスタート時に資金調達が余りうまく行かなかっただけのようです。畑は雑だし、醸造所も醸造施設も全くスライドに出て来ないのですから。ワインの味は、しかし、別に悪くありませんでした。それというのも、インチキはしていないからです。今日のテーマはこれです。
一体どうして我が国のワイン作りは先の見えない迷い路に入り込んでしまったのでしょう。外国からワインそのものを輸入し自社のビンに詰めて売る。外国で濃縮したワインぶどう果汁を輸入し、国内で水で戻して発酵させて作ったものをビンに詰めて売る。以上、どちらも「国産・自社ワイン」です。日本で本当にワイン用ぶどうからワインを作ることは、とても難しい。何故といって、ワイン用ぶどうの絶対量が殆んどゼロだから。全国民の愛飲量の約1%分の量しかワイン用ぶどうはないからです。
50年前に北海道の或る町の町長さんが、上記外国産ワインの方式を導入し、大成功しました。それを見て、国内の大手メーカーや地方の中小ワイナリーまでその手法を真似しました。極言すれば国産ワイン=外国もの、というのが我が国の実情です。