144.珍客万来

2018/11/03

  とてもおかしな話です。以前、新潟でここよりは大きくて完成度も高いワイナリーを経営していた時よりも、遠方からの来客が多いのは何故でしょう。それはきれいな建物を庭で取り囲み、その外側には広大なワインぶどう畑があって、遥か彼方に山々を望むという設計ではあります。この景色ゆえか、それとも極くまっとうなヨーロッパ型のワイン作りのせいか、我がワイナリーには連日、面白い人々が訪ねていらっしゃるのです。とにかくどうしてこんな北海道の片田舎に毎日、日本各地からならまだしも、世界各地からも色々なお客様がお見えになるのでしょうか。SNSの効果恐るべしでしょうか。
  10月初旬のこと。レストランでは昼食のお客様も落ち着き、目の前の畑でのぶどう収穫も一段落した頃合いに、何の前触れもなく15~6人の集団が5台の車でやって参りました。その中心は背の高い青い眼のご夫婦で、何やらフランス語で喋りながら玄関を入って来ます。ほんのちょっぴりしかフランス語を話せない私ですので、型通り“Bon jour! Soyez le bienvenu! (ソワイエ ル ビアンヴニュ、ようこそいらっしゃいました)” そしてその日の気分によって英語かドイツ語で、「どちらからですか?」と続けます。
  この日はたまたま機嫌も良かったのでドイツ語で尋ねました。相手(御主人)の答えが何とドイツ語で「パリからやって参りました。」「えっ、貴方はドイツ人でパリに住んでいるのですか?」と私。
  この珍問答、お付きの日本人が割って入って、やっと片付きます。「この方はフランスの首相、といってもオランド政権下の外相、首相をなされた方でJean-Marc Ayrault
(ジャン・マルク エロ―)という人です。今日はニッカウィスキーに来たのですが、本人の希望で、急に変更して貴方のワイナリーを訪ねたいと言うのでお連れしました。」
  生粋のフランス人ながら、ドイツで大学生活を送ったせいでドイツ語が堪能なのだそうです。故郷に帰ってロアール河口の港町ナント市で市長を20年務めていたら、オランド大統領の眼に止まって外相として入閣、その後首相を5年務めたそうです。私自身よりちょっと若目の同年輩ゆえ、私がドイツで学んでいた時期と彼の留学時代が重なることとなり、話に花が咲きました。
  前職だろうと現職だろうと、はたまた首相だろうが大統領だろうが、全く物怖じしない性格の私です。それどころか当初の10分程、私はドッキリカメラだろう位に考えて、冥途への浮き世のみやげ話のつもりで話し合っていました。しかし目の澄んだ人で、話し合ううちに打ち解けてワイン談義となり、「じゃあ私の地下の醸造所を見ますか?」相手が「勿論!」。
  我がワイナリーの場合、収穫したぶどうの房や粒を選り分ける機械類、そしてその選ばれた果実の梗(へた)を取り除き、粒を潰す機械、更に続けてその潰した半液体のぶどうを搾(しぼ)る機械と並んでいます。しかも現在が最盛期です。それらの機械が動いています。すべて400Vで動く大きな機械です。しかも銀ピカ・ステンレスのドイツ製ばかり。
  次の部屋は、又々ドイツ製の密閉式ステンレスタンクが40個並ぶ醗酵室。さすがに、このフランス人御夫妻の顔が曇って来ます。ところがその次の部屋は樽熟成庫。「新樽熟成」といって、新しい樽だけを使って、中のワインに樫の香りを移しながら熟成させる特殊な方法です。そこにあった60個の樽がすべてフランス製の、しかも特級の樽ばかりでしたので、お二人の顔にはやっと満面の笑みが浮かびました。「やっぱり、新樽はフランス製ですか?」「フランス樽以外は考えられません」と私。
  「私の家もワイン作りをしている。貴方のワインが飲みたい。」およそ地球上でワイン作りをしている人は、訪ね来る同業の人には、乞われなくとも自分のワインを次から次へと御馳走するのが習いです。久し振りのドイツ語の会話に気を良くして、沢山のワインとおつまみを前に並べて、色々なことを話しました。勿論あと数週間で変わってしまう「日本の新ワイン法」のことも。
  図々しさついでに、お願いもしてみました。「貴国の著名なワイン蔵で次男坊ゆえに跡目を継げない蔵があったら、その次男坊をこの余市に送り込んで下さい。勿論、本家が支援して。その蔵が成功すれば、フランスワインの名声も更に高まり、日本の人々がもっとフランス・ワインを愛飲することでしょう」と。「今の在日フランス大使はかつての私の部下だから、近々彼にこの地を訪ねるように言っておくよ。」 私がダメを押して、「いえ、妻と二人で私共が先きに大使館に大使を訪ねます。」 果たして結末やいかに。