153.私のワイン作り人生③

2019/02/03

  新潟で独立して3番目のワイナリーCave d’Occiを開いたのが42才、余市で人生第4番目のワイナリーと銘打ってOcciGabi Wineryを始めたのが64才。内心、4つ目はちょっと遅いかなとも思いました。しかし、これが結果的に大正解。もしこの時動かなければ、現在手に入れている素晴らしい土地は他人の手に渡っていたことでしょう。それに更なるアンビリーヴァブルな偶然として、ちょいの間の民主党政権が2012年8月に国会を通した6次産業化支援ファンド法。もし64才で動いてなかったら、この国内適用第一号法人にも指名され得なかったことでしょう。その第一号適用が内定した途端に、政権が又、民主党から自民党に戻ったのですから。私は私なりにこのファンドの理念を正確に把握し、誠実に事業経営をしたつもりですが、そこは近年内実が露呈して非常に評判の悪い官民ファンドですから、正直に申し上げます。この官民ファンドと共同経営(持ち株半々)の形でスタートしたものの、半年後にはもう毎度口論で、何時相手側の持ち株(1億4千万円)を買い戻すかを考えるばかりとなりました。結局満4年で買い戻しに成功しましたものの、それでも公正を期して言うならば、このファンド制度がなければ5億円にも上る当初資金を集めることは出来なかったと思います。誠心誠意、感謝すべきです。
  人生最後のワイナリー作りの地として、余市を選んだことにも大いなる運命を感じます。日本独特の高温多湿な初夏と夏を終えても、寒気の入り込まない秋を迎えることが多くなった新潟。非常に暖かい秋が居座った結果、甘さと並んでワイン作りにとって非常に重要な要素である、ワインぶどうの酸味が失われてしまったのです。一時的な気象異変かと何度も考えましたが、実はワイン作りの盛んなヨーロッパ諸国では1998年頃から盛んに言われていたことです。西ドイツより帰国して以来29才~38才は北海道に居て、38才~41才が長野、41才~64才と新潟に居たのですから、年に何度もこの3点を行き来して気象の変動を読み取ろうとしました。
  私にとっての北海道温暖化の最初の兆候は、1990年代に交配作出された「キララ397」という米です。どういう按配でか、日本一米の美味しくない所(北海道)から日本一米の美味しい県(新潟県)に移り住んだせいで、新潟が農業日本一かと思ったのも束の間、それ以前の米と較べると格段に美味しい米が何と北海道でも出来るようになったのです。このキララという米は、その後更に改良を加えられて全国一の評判を取る銘柄が幾つも出て来ましたし、近年ではサツマイモも落花生も北海道で最上級のものが作られるようになりました。
  余市で最初の6haに何という品種のぶどうを植えるかについては、ですから少しも迷いませんでした。かつて40年前の西独留学の御褒美として西独政府がプレゼント(勿論私個人にではなしに、北海道庁と小樽の叔父の会社宛てにです)して呉れたのが縁で、この余市で隆盛を誇っていたドイツ系の品種群はきっぱり捨てて、ヨーロッパでももう少し南の緯度帯のものとしました。地域でいえばブルゴーニュやアルザスということになります。
  必然的運命の最たるものは妻として迎えたGabiでしょう。米国系超大手企業のエクソン・モービルに勤める雅美(まさみ)という彼女の名刺を貰って、すぐに私がGabiと読んだところから始まりましたので、私は彼女のことを一度も本名で発音したことがありません。ドイツに多い名前の短縮形でGabriera→Gabiという訳です。とにかくワイン作りに於いての私の一番の弟子で、しかもこの余市の企業体の社長でもありますから、ワイン作りの理論構築も今や完成の域に達しています。その辺にいる輸入ワインをいじりながら我がワインと誇っているマドンナ気取りのお嬢さん達や、怪し気な小さな畑を背景に女性であることを強調しているお姉ちゃん達とは真に別格と感じる存在です。実は、余市の中に幾つかあった候補地からこの地を選んだのは彼女。官民ファンド受託の事務手続きも彼女でした。
この地に来て、もうすぐ7年。その時点では知り得なかった、札幌から余市への時間が半分に短縮される直通高速道路、これは昨年末開通しました。又、地元町政が「余市を日本一のワインの町へ」という私共の実現可能なプロジェクトを信じられない程消極的に理解して(もしくは全く理解せず)、ああこれは私共だけの単独で輝く事業で終わるのかと思い始めていたら、頼まれもしないのに内閣官房出身の若い超エリートがやって来て見事町長選で勝利したりしました。そして運命の極みとでも言うべきでしょうか、出来上がってうまく行っている業界をひっくり返すのが超苦が手な官庁(国税庁)が、イヤイヤにせよTPP・EPAとの兼ね合いで新ワイン法を作ったこと。未来予想が好きな私でさえ、この国の特性ゆえ、我が国では決して「まともなワインの法律」は出来ないと思っていただけに、本当にびっくりしました。突き詰めて行くと、すべて国際通商やら国内の地方創生と関連してのこと。表現を変えると歴史・経済上必然のこととはいえ、以上のこの数年間の偶然なる変換の数々は、妻Gabiのオーラの仕業かなと思い始めている私です。勿論彼女こそ私以上の運命論者です。