25.「ブルゴーニュのドメーヌ、モンジャール・ミニュレ」
2015/06/21
ブルゴーニュ地方でも名高き銘醸地コート・ドール(黄金の丘)の小さな村ヴォ―ヌ・ロマネ。ロマネ・コンティで有名なこの村は人口が400人弱、ドメーヌ(醸造蔵)が40軒程とか。現在の当主で数えて11代目の「モンジャール・ミニュレ」もそのうちの1軒ですが、今から10年ほど前にこのワイン蔵の収穫・仕込みを手伝ったことがあります。
2004年9月27日28日のことです。その当時は新潟でCave d’Occi Wineryを経営していましたし、常識的に考えて、自分でワイン作りをしている人間が同じ北半球の外国のワイン仕込みに出掛けるなんて不可能と思われます。でも、その年Cave d’Occi は一般品種の収穫・仕込みは信じられない程早く9月半ばで終了しました。残りは11月上旬のカベルネ・ソーヴィニョンだけといった具合だったのです。
同じ大学の先輩で坂口功一さんという人がパリ在住で、日本へのワイン輸出の仕事をしていますが、かつて話の席で「もし、そちらの手の空くことがあったら、ロマネ・コンティの収穫でも見に来ませんか」と言われたのを思い出し、すぐに電話して出掛けたのです。9月26日だったと思いますが、黒っぽいユニフォームのプロの収穫人30名ほどが、手際よくピノ・ノワールを収穫するのを2時間程見学しました。畑の外側に立って黙って見ているだけの人の数の方が、収穫する人の数より遙かに多かったのを覚えています。一種異様な光景でした。
消化不良を解消すべく、翌日には坂口氏に以前より数度連れて行って頂いて知り合いとなっていたモンジャール・ミニュレのワイン作りを体験しました。このワイン蔵(ドメーヌ)はロマネ・コンティの隣の隣に位置して知名度も高く、最近の2代で経営面積も30haにまで伸長したとか。グラン・クリュ(特級畑)のグラン・エシェゾ―を約2ha、クロ・ヴ―ジョを1ha余所有。グラン・クリュものは当時7000円以上で自家蔵売りしていました。栽培する品種が極く少量のシャルドネを除き、すべてピノ・ノワールだけ。推定平均年産量は750mlビンで15万本程でしょうか。
畑の仕立て法はすべて「グイヨー方式」でした。これはボルドーでもブルゴーニュでも一般的な形で、片側を二芽ずつのコルドン型、反対側を一本の長い一年枝。と書いてもワイン用ぶどうを育てている人にしか分からない説明ですね。もっとも2~3年いじれば誰でも覚えますが、、、。そもそも1haの畑に何本のぶどうの木を植えるべきか。細かく沢山植えれば植える程、味は良くなると言われるものの、我が国では体系立てて比較試験したデータは存在しません。今後の大きな課題です。
そのことはさておき、モンジャール・ミニュレの畑では畝間(うねま、トラクターの走る列の間隔)と株間(かぶま、木の送り間隔)双方が1mで1ha当り1万本の植栽。生け垣の高さは1m10と非常に低く、3~4段に針金を張るものの最下段が地上30㎝程のところにあり、ぶどうはせいぜい地上40~50cmのあたりに成ります。一本の木当り完全な房に換算して10~12房成らせ、単位房重量を70~80gとして計算してみますと、1haで8000㎏(8t)程収穫する訳です。しかし、収穫の次の工程である仕込みで大きく量を減らしますので、1haでは5000本程しかワインを作ることは出来ないと言います。
果汁を空中に噴霧して10%程蒸散させ液体を濃くする方式をとっており、ボルドー地方の電圧をかけた逆浸透膜を通して水分を抜く方式とは異なるものの、果汁の水分を抜き取るという点では一緒の考え方と理解しました。
赤ワイン用の黒いぶどうを潰した直後の液体は無色透明ですから、その時に無色の果汁を10%~20%抜き取り、それを同族の白であるシャルドネに加えて有効利用しつつ、赤の方は皮と液体の比率を変えて濃い赤ワインにしようという半古典的な方法の方が私自身は好きです。もっとも好天の年はそのような処置など不要で、そのまま皮と一緒に仕込むだけですが、、、。
とここまで書いてきて、ワイン作りは料理と似ているなと思ったりもします。