27.「ドイツ人の考え方Ⅱ」
2015/06/21
Ich(イッヒ)を文頭に置くと文章が締まります。「自分はこう思い、こう行動します。貴方はどうしますか。」と宣言するからです。私も67歳ですから、この人生がたった一回切りのものとは充分理解しています。次には猫にもゾウリムシにも生まれて来られないことを。だからこそ、この一生を精一杯生きてみたいと。
自分を前面に出すことを遠慮することの多い我が国の文化では、きっと誰からも咎められず、誰にも批判されず、そして誰からも熱愛されない結果になりかねない生き方を何となく是として生きる。「うまみ」の研究が盛んな昨今、世界一食べ物は美味しい国で、その代り人生は味気なく生きてバランスを取りたいのでしょうか。とにかく我が国にはIchを主張しない友人が多い。勿論何人か例外はいて、強烈に私を魅き付けます。しかしドイツに私が持つ20数名のワイン作りをしている友人達とはその個性の固さに大分差があります。キリスト教徒ゆえでしょうか。それともワイン作りというひと筋の道で生きているせいでしょうか。
話題を変えて、日本の人が行わない、ドイツなら必ずすることを羅列しましょう。車を駐車する時、バックして停めるということをしません。個人の車庫でも、大きな例えばスーパーの駐車場でも、どうして我が国では尻から入れるのでしょう。ドアが後ろ向きに開く以上、出にくいし、トランクの荷物は出しにくいし、後方の他の車を待たせるし、植え込みの植物に有害な排気ガスは噴き着けるし、と良いことは全くありません。すぐ前進して出られるから良い?でも乗りにくいし、買い物も収納しにくいですよ。何より今や常識となったオートマチックのシフトがPの次にRと設定してあるのは何故でしょう。そうです、きっと日本人以外の人は殆んど頭から入れるからです。
恐ろしい程テレビを観ない国民です。良く考えてみてください。子供達がマンガばかり見ているのを批判する大人達が、マンガよりも愚劣なテレビを観ているのです。職業上、私は天気予報をよく観ます。そして失望はしているものの、政治は知っておかなければとニュースも時々観ます。しかし、それ以上は腹も立って精神衛生上よろしくないとばかりに殆んど見ません。テレビを観ない、新聞も積極的には読まないは40年前のドイツで習慣付けらました。確かに多少は有用な機能も持っています。しかしマスメディアより得る情報は私共が過信(盲信)する程大切なものではないと思います。
学校の寮に入ってすぐにこういうことがありました。ダイムラー・ベンツの本社があるシュツットガルト市近郊のその学校は、実習のためというよりは生計を立てるためにワインを作って売ってもいました。60ha、年間50万本のワインをです。10億円以上の売り上げでしたが、教員、研究所員、職員、労働部隊、学生と総勢120人程の人間が集まる食堂にたった1台の白黒のテレビがありました。テレビ大好き国の代表よろしく、当初一所懸命テレビを観ていた私ですが、私以外誰も観ようとしない理由が程なく分りました。チャンネルは国営放送のみ2つだけ(NHKとNHK教育みたいなものでしょうか)。放送時間は午後1時半から10時くらいまで。とにかく観ていて全く詰まらない番組ばかり。クラスメートが寄って来て、「オチ君、よくテレビ観るねぇ。そんなに面白いかい。」「いや番組が良くない。大体日本だと僕の住んでいる札幌のすぐ隣の小樽という田舎の都市でさえチャンネル数は7つある。なのに、この国は何だい。詰まらない番組だけ流す国営のが2つだけ。遅れているねぇ。札幌は知ってるよね。」と私。「冬のオリンピックが一昨年あったから知ってるよ。でもねぇ、7つチャンネルがあるからといって、一度に幾つも同時に観るの。どうせ詰まらないものなら2つでも多いくらいだよ。」彼の理屈は正しい、とそれ以来殆んど(ドイツでは全く)テレビを観なくなった次第です。