30.「庭づくりの楽しみ」

2015/06/21

 大ヘッセほどの精神遍歴は経ずとも、人生最終楽章に入りますと、自ずと庭いじりに傾倒するようになるのでしょうか。日々の人間関係も面倒になり、独り様々な植物と対話しながら過ごす時間は、無律平坦になりがちな私の精神に小さなリズムを与えてくれます。地球上にこれ程長く住んで居ながら、自分以外の生物について知らないことが非常に多いことに気付かされます。陽の光や与える水に対する彼等の要求量が均一ではないことはすぐに知らされますし、繁く手をかけた方が良い植物群とそうではないものがあることも分かってきます。
 猫を6匹飼っていて分かることですが、決して私が彼らを養っているのではなく、彼らは私と一緒に生きています。自分と庭と植物達との関係もきっとそれに近いものです。時折感じることですが、なまじ同じ言葉を喋っているから分かり合えると錯覚している人間同士よりも、言葉を介しない囲りの動物や植物達との意思疎通の方がうまくいっているようにも思えます。その理由は最近段々と分かってきました。人間同士使っている言葉そのものは、個人個人かなり意味が違うのです。行動の伴わない言葉、実体験のない借り物の理論、約束を守ろうと尽力しない単なる口裏合わせの発言。それらを駆使する人々と話し合っても、それは猫や植物相手の言葉を用いない意識交換ほども成果はあがらないのです。空虚な言葉を駆使する人々の情報は、読み流し喋り捨てのもの。「己れ」は一体何処へ行ったのでしょう。
 かつてドイツの学友に特異な人物がいました。私はこの30年間ほど、年に一度か二度と決めてヨーロッパやアメリカのワイン地帯を訪ね歩いていますが、必ず囲りの人を10人前後誘って旅します。ドイツ南西部の町マンハイムからは50km程離れた「上(かみ)フレアスハイム村」に住むヘルムート・ミュラー君がその人ですが、この人物は奇妙に私と性格が合うためか、都合20度は10人以上を彼の所に連れて行って、いつも大歓迎してくれました。古い城壁に囲まれた100戸に充たない小さなワイン集落。彼の案内コースはもうそらんじてしまいました。城壁内の彼の住宅兼ワイン蔵でウェルカム・ドリンク。高さ5mの城壁の上を半周数百メートル散策しながら、村の歴史を説明。城壁を下りてユダヤ人墓地に案内。数えて十もない墓の前で黙祷。二つある彼のぶどう畑に案内。あの草陰によく冷やしたリースリングとグラスが人数分あるぞと思ったらその通りで、この演出は訪問時間や季節によって多少変化あり。帰り来て城壁をくり抜いて出た所にある、自宅と地続きのガーデンで奥さん手作りのつまみを頂きながら本格飲み。いつもワンパターンながら実に胸の奥まで友情の沁み渡るもてなしに心打たれたものです。しかしそれも5年前に彼が50代半ば肝硬変で逝ってしまってからは不可能になりました。蛇足ながら、お代は1ペニッヒも払ったことがありませんでした。ワインの作り手が友人の作り手からお代を頂くという習慣はきっと地球上、どこにも存在しないことでしょう。
 彼が私の連れて行った人達の前でする小咄も大体一緒。★うちの村の或るワイン農家の男が北京に旅することになったとさ。上フレアスハイム駅で「北京まで大人一枚」。駅員が「そんな切符は置いていない。近くの分岐駅ヴォルムスまでならあるよ。ほれ。」ヴォルムス(人口数万人)駅で「北京まで」。「いや近くの本線のマンハイム(人口数十万人)駅までだな」。そんな訳でこの男はやっとマンハイム駅で北京までの切符を手に入れ、鉄路10,000km離れた北京に辿り着いたとさ。北京で2週間ほど観光を楽しみ、帰りの切符を買いに北京駅へ。「ドイツのフレアスハイムまで大人一枚」。北京駅の駅員「それは上(かみ)フレアスハイムかね。それとも下(しも)フレアスハイムかね」。
 私の親友のヘルムート・ミュラーは自分の村で生まれ、そこで生き、そしてこの村で死にたいと常々言っていた男ですが、見事それを実践しました。もっとも亡くなったのは50km離れたマンハイムの病院のベッドの上でしたが。
 皆さん、何となくワイン作りの本質が香って来る話だとは思いませんか。