34.「みかんとりんご」

2015/06/25

 昭和23年生まれの私が昭和20年代30年代の頃の話をすると、それは立派な「おじいちゃんの昔話」となります。「小学校も中学校も1クラス60人程が教室に居たよ」とか、「バナナなんて年に2本しか食べられなかったよ。運動会で1本、そして遠足の時に1本」なんて話すと、囲りの人間が本当かなあという顔をします。「昭和41年に東京の大学に入るまで、ハイヤー(タクシー)に乗ったことなかったよ」とか、「まさか自分が自動車を運転する時が来るなんて20才になるまで思わなかったよ」と私が言うと、確実に誇張しているようにとられます。本当のことなのに。
 考えてみると、私共団塊の世代ほど変化に富んだ人生を歩んだ人達は人類の歴史上存在しないのではないでしょうか。物質や食料、そして経済に於いて、こんなに大きな振幅を味わった世代は他に決して居ないと思います。昭和20年代30年代に誰が飽食の時代の到来を予想し得たでしょうか。糸の付いていない電話といってもよいケータイやパソコンが一人一人の手許にあるなんて、つい20年前には誰も予想しなかったに違いありません。(いや、ゲイツやジョブズみたいな人々は予想していたのかも。)
 そして、みかんやりんご、かきを殆んどの日本人が年に数個食べるか、それとも全く食べなくなる日が来るなんて。現在がそうです。よく考えてみてください、この一年間に貴方は何個食べましたか。私は小・中・高と北海道で育ちましたから、雪のある11月~3月の4ヶ月間は毎日みかんを5個にりんご1個と決めて生活していたのを覚えています。家族単位で計算すると、莫大な数字です。みかんは静岡や和歌山から、りんごは余市からというのが定着していましたから、500万人の全北海道民がひと冬にどれ程余市や仁木に送金していたことか。その頃の数字と比べると、現在が限りなくゼロに近いことが分かります。
 りんごに関しては、その産地が青森県や長野県では幾つもの町村に分布しているのに、北海道は余市と仁木に殆んど集中しているのも奇異に思われます。
 どうして北海道民は、いや日本人はりんごを食べなくなったのでしょう。他に色々な果物が出て来たから。食べるとお腹がくちくなるから。
 もうひとつの余市特産だった生食用のぶどうも現在りんごと同じ運命を辿っています。余市に住んでいて残念でなりません。