40.「坂口巧一氏のこと」
2015/07/23
私の人生訓に「安易に人を尊敬しないこと」というのがあります。何故といって説明は難しいのですが、尊敬する人を心の中に持ってしまうと、何やらうっとうしいのです。例え歴史上の人物でも、尊敬するのではなく敬愛するといった感情の方が自然のような気がします。同時代人というか自分の人生で出会い、お付き合いした人については特にそうです。自分の知らない一面もあるでしょうし、自分自身の中で相手の評価が簡単に定まらないということもあります。
さて、そんな中で、パリ在住の坂口巧一氏はちょっと別格です。大学(東京外語大)の先輩ながら彼が4年生の時、私は新入生。彼はフランス語科で私は英米語科。その英米語科1年の時、彼の弟が同級なのに、その弟は優等生に対し私はビリの落第生で交流なし。といった具合で私が47才の時にパリでお会いしたのが初めてと、とても遅い交流の始まりでした。新潟でCave d’Occi Wineryの最初のメモリアルなワイナリー棟を建てた時、当時鎌倉にいらした建築家の白鳥健二氏を連れてボルドーのワイナリー巡りをした時、ご案内して頂いたのです。パリのシャルル・ド・ゴール空港からボルドーまでの道々、「どうして日本で本格的ワイナリーなんて目指すのですか。どうせ何百年もフランスには追いつかないのだから、ワイナリー作りなんか止めて、日本での私のパートナーになりませんか。」
彼は大学卒業後伊藤忠商事に入社。パリ支店勤務中に独立。パリに住んで日本にフランスの産品を輸出する仕事を始めたのだそうです。1980年代のバブルの頃は何でも扱ったとのことですが、私が初めてお会いした1992年はフォアグラを止めて、高級ワインに特化しようとしていた頃でした。いわゆるwine exporterで、私に日本のwine importerになれという訳です。とても魅力的な提案でしたが、既に手遅れ。新潟ではもうぶどう畑作りを始めていましたから。
それから40年余。ワインを彼から仕入れることは全くありませんでしたが、デザインの良いビンや熟成用の小型の木樽、シャンパーニュ地方からのスパークリングワイン製造設備の輸入等、何度も手助けして頂きました。ボルドー、ブルゴーニュ、プロヴァンス、ラーングドッグ、イタリア、スペインの数多くのワイナリーの当主に引き合わせても頂きました。三ツ星のレストランは十度以上ご一緒させて頂きましたし、彼がその功によりフランス政府からレジヨン・ド・ヌール章を授与された時の記念パーティーにも招かれました。
事業経営にも大成功し、パリ郊外に由緒正しき古城を購入。私はその広い敷地と森に魅せられて何度もお訪ねし、宮殿のような客間に泊めて頂きました。
成功されたからというのではなく、私が彼を敬愛する最大の理由は、発言がとても誠実で正直なところです。とにかく話をしていて気持ちがすっきりします。すると、こちらも何も包み隠さず話せる。「対話法」とでも言うべきものを彼から深く学んだものと確信しています。最初にお会いした時は眼光が鋭く、ちょっぴり畏怖しました。人生の苦闘の時代を狡猾さで切り抜けた人々と、誠実さで対処した人々が居て、その違いを見分けられる年令に私もなって来ましたが、相手の眼を見ながら話すことの重要さを彼に改めて教えられたのです。
大の愛妻家でしたが、昨年奥様が亡くなられたので私はお会いすることをためらっておりましたところ、この冬三日間ご一緒させて頂き、ゆっくり静かに話し合って頂くこととなりました。ワインのこと以上にメゾ・ソプラノ歌手だった奥様の思い出話をすることになりそうです。