45.現代のマルコ・ポーロ

2015/08/16

 一昨年(2013)昨年(2014)と10月から11月にかけ3週間我が家に逗留した級友がいます。Friedrich Hammel(フリードリッヒ・ハンメル)君64才。かつてのドイツ国立ワイン学校での同級生です。最優等生でした。南部ドイツでもかなり有名で巨大な「ぶどう生産者組合立ワイナリー」の醸造長を30年務め、現在は悠々自適の立派なRentner(レントナー、定年生活者)。
 前号のfacebook(私がドイツに行って文化的ショックを受けた話)とは丁度逆で、彼は2011年に一週間日本に滞在したのが縁で、日本をとても好きになり、しかも面白がり、彼曰く、「生きている限り毎年来るよ」となりました。この10月にも又来ます。
 彼にとって我が日本は超異質の国です。しかも愛すべき、と続くのは先きの第二次大戦の関わりで、日本人は律儀というベースがあってのことです。ガリバーでなければ、きっとマルコ・ポーロの気分で、この余市・仁木の人々と普通に会話して、見聞を広めています。
 ドイツ人はよく世界一散歩が好きな国民と揶揄されます。我が家が丁度余市町と仁木町の境に立地しているのを良いことに、ドイツ人の彼は両町を巡り歩き、人々と話をします。彼の日本語や英語の能力が殆んど有効ではないのを私は知っています。ではどうやって日本のこの田舎の人々と会話をするのでしょう。
 そうです。何とドイツ語でです。しかも南部の「シュヴェービッシュ」というドイツ人でさえ往々にして理解不能なドイツ語方言で。不思議とこれが良く通じるのです。勿論、多少ジェスチャーも加えてですが、人間自分の一番得意な言語で喋るのが相手を納得させ易い、という法則のようなものが働くのでしょうか。奇妙にこれがお互い通じ合う。勿論、対するこちらの余市びと、仁木びとも地言葉で喋ります。もし傍らに居ても、私は殆んど通訳などして助けないことにしています。
 我が家に帰り来て、「さっきあの人はしきりに○○と言っていたが、それはこんな意味かい」、と当たらずとも遠からずの指摘に二度ビックリ。丸ハズレも時々あるものの、それは愛嬌というものです。
 私の推測ですが、彼は故郷の書斎で「新東方見聞録」を執筆中のことでしょう。その中で、日本の家屋は屋根も畳も決して純金製ではなくとも、人々の心は非常に暖かい、と綴っているに違いありません。この秋も行くよ、と言っているくらいですから。