51.推敲

2015/09/22

 昔、高校一年生の時「漢文」の授業で習いました。唐の詩人・賈島が詩作中に、「僧は推(お)す月下の門」にすべきか、「僧は敲(たた)く月下の門」とすべきか悩み、韓愈に相談して敲くに決したという故事。
 本を読むのと文を書くのが大好きな私ですから、そして才能はそれ程ではありませんから、結局は練り過ぎて毎度駄文となるのですが、よく考えると要はこの推敲作業が楽しくて、文を書いているのかも知れません。そして私の場合推敲で一番重きを置くのは字句よりもリズムです。
 今から丁度4年前、2011年放送のNHK・FMでのこと。ブラームスのピアノ協奏曲第一番・ニ短調の演奏が了った後の解説で、著名な音楽評論家が披露したエピソードが秀逸でした。彼も又聞きでしょうから、私も皆さんに教えることにします。
 ブラームスは20年以上も後にもうひとつピアノ協奏曲第2番・変ロ長調を書きますが、どちらが良いかは純粋に好みの問題で、殆んどのブラームス・ファンはどちらも好きなことでしょう。又、ブラームスは数年後輩のドヴォルザークを可愛がり、彼を世に出したことでも知られていますが、とにかく後進達の面倒を良く見たようです。
 さて、或る日作曲家志望の青年がブラームスを訪れ、厚顔にも「先生、僕もピアノ協奏曲を2曲書いてみました。そのうちのどちらを世に問うべきか迷っていますので、ご助言頂けますか。」ブラームス「そこのピアノで弾いてごらん。」青年は「では第一番から弾きます。」青年が目を輝かして弾き始めて、ものの1分もしないうちに、ブラームス曰く、「分かった、もういいよ。発表するのは第2番にしなさい。」
 ヨハネス・ブラームスは彼の尊敬するべーとーヴェンの死の数年後に生まれますが、ブラームスと同時代(19世紀後半)を生きた人々の中には、ロマン派等の幾多の作曲家(ドヴォルザークもその一人)に加えて、異色の天才が居ます。誰あろうThomas Alva Edisonです。希代の発明家兼実業家のエジソンは、実はヨーロッパでブラームスと一緒に仕事をしたことがあるのです。ブラームスが自演する「ハンガリー舞曲」をエジソンが自前の蠟管蓄音器で録音して、人類の偉大な記録を残すとともに、自分の商売にも利用したようです。GEという巨大な会社を興したエジソンのことですから、これ位の離れ技はやるでしょうね。この事実は今から丁度30年前、アルバイトでHBC(北海道放送)のスタッフに混じって「ピウスツキー蠟管」を追跡していた時に知りました。そうです。アイヌ語を録音して北海道大学に保管されているあの蠟管のことです。開学まだ浅い頃の北海道大学(もしかして札幌農学校の頃でしょうか)にポーランドの言語学者ピウスツキーがやって来て、文字を持たないアイヌの人々の言語をエジソンの発明した蠟管に写し取ったとのこと。人が動くと文化も伝わる、まさにその好例で、感動します。エジソンが興した会社GE(General Electric)が原発原子炉を作り、そして・・・とこの話は延々と続きそうですから、今回はここまで。
 我が妻Gabiが時折「推すか敲くか?」という表情の時、それは”beer or wine?” であったり”more wine?”であったりします。ビールはいざ知らず、ワインなら我が家に何万本でもあるのですから、きっと身体のことを考えているのでしょう。今回は賈島→ブラームス→エジソン→ピウスツキーと流れましたが、ところでAimez-vous Brahms?