7.「ワイナリーの集積と町おこし」
2015年5月
70年前の大きな戦争の直後に生まれて、今日まで精一杯生きて来た人間の一人として思うことがあります。「経済」という言葉を「人間の営み」という具合に拡大して考えるとしましょう。物流も情報も教育も医療もその他すべてを包括的に考えるという意味です。そうすると現在の経済は戦前のものとは丸切り異なっていることに気づきます。人類の叡智でしょうか。進化の宿命でしょうか。何やら行き着くところまで来たなと実感します。
経済活動に於いて世界の最先端にあると思われる我が国で、田舎の疲弊・崩壊が起きているのは偶然でしょうか。その原因を狭い意味での経済、いわゆる金銭活動に求めるのは安直すぎます。金銭に関した活動は、人間の思想、人生観による行動の結果として現れるのであって、それを原因として捉えると議論が堂々巡りし始めます。より高い収入を得たいから、田舎を捨てて都会に行くのではなく、田舎に居たくないから田舎を出ていくのではないでしょうか。以前はあんなに豊かだったのに、功利的な人々の動きゆえに田舎には職も無くなり、若い人々は皆出て行った。だから私も出て行こう。
いや私はこの田舎が好きだ。ここで精神的にも金銭的にも豊かに生きていくためにはどうしたらよいのだろう。私自身、何も政府の言うことにべったりの人間ではありませんが、今回の各省庁あげての大合唱「地方創生」には大きな意味があると考えます。自分達のいる地域を自分達の力で豊かにしよう。足りない力は積極的に誰からでも借りよう。だって自分達はこの地域で豊かに暮らしたいのだから。政府も狡猾です。「天は自ら助くる者のみを助く」とばかりに、自分達できちんとした創生プランを作り上げない地域には地方創生の特別予算を下さないと。
居残った自分達だけで豊かに創生・復興することは不可能と皆が悟りました。外部より若い人を招き入れ、彼等にもこの地域を豊かにする仕掛けを一緒に進めて貰おう。全国1700余の自治体(市・町・村)のうち半分以上が消滅可能性を云々される時、それは前総務相の唱えた怪談論法だと一蹴する人もいます。そんな人に限って、何もせずに自分の葬式を迎えるような生き方をしています。物事何もしなくとも何とかなる、と。私は考えが全く違います。たった1回の人生、しかもえらく長くなってしまった人生を、より強く周囲の人に、そして地域に関かわって生き抜いてみたい。かつて1960年代に、ジャン・ポール・サルトルの説いたアンガージュマン(engagement 社会参加)の思想です。仙人を気取るのではなく、この地域をより魅力のある社会にするため、皆で議論し、行動することです。人生が非常に長くなったのですから、隠棲は80才、90才を過ぎてからにしましょう。文化勲章と一緒です。死ぬ数年前でよいのです。
全国のすべての過疎地域に同じ条件が揃っているとは考えません。真のワイナリーが集積した地域を作り上げる上で、必要な条件が殆んど存在する場所として、私は現在住んでいる余市・仁木地域を選びました。土壌と天候。水田の殆んどない丘陵地形。前面にある良港群。維新開拓以来百年にわたる果樹栽培技術の蓄積。そして、今やラベルに原料ぶどう産地を明示するように国税庁が言い始めたこと。我が国のワイン製造情況もやっとまともになるのですから、余市・仁木にとっては絶好のチャンスです。
この機をおかずして、この地にワイナリーゾーンを建設すべき時があるでしょうか。足りないのはワインの学校と原料となるワイン用ぶどう。そのどちらも作りながら、この地に目前にある発展未来図を示せば、立派な地域創生プランとなることでしょう。