8.「新鮮な完熟ぶどうこそワインの命」

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かつて23年前、新潟でCave d’Occi Wineryを興した時、当初の9年間は小樽→

新潟間のフェリーを使って、余市のぶどうを動かしワインとしました。新潟の自社の周囲にワイン用ぶどうを次から次と植えながらのことです。自前のぶどうが出来るようになってからも余市からのぶどうとの併用期間は7年あったのですから、正直言ってCave d’Occiの立ち上げは余市あってのことだったのです。

 では、どうして10年目から余市のぶどうを使わなくなったのか。自前、余市両者のぶどうを合わせると量が急激に増えたこと。更に自前のぶどうと海路600kmも運んだぶどうの品質の差が大きかったことも一因です。

 今回OcciGabi Wineryを創始するに当たっても、かつての余市のパートナーからワイン用ぶどうを分けて頂くところからスタートしました。自前のぶどうは昨年ほんのちょっぴり、今年はもっと多くと増えますものの、新潟時代に余市から運んで作ったワインと、この地余市で作るワインには明確な相違があります。原料ぶどうの新鮮さゆえの美味しさです。欧米豪のワイン産地がワイン用ぶどう畑で埋め尽くされ、その畑の真只中にワイン醸造蔵が存在しなければならない理由はこれです。

 納得の行く健康で新鮮な完熟ぶどうで、自ずから作り上げたワインを味見して、単純明快な喜びの表情を浮かべるのは、ワインの作り手の特権のような気がします。そのワインを違った角度から目利きして、作り手さえも思い付かないような表現法で、そのワインを論評するのは、ご存知ソムリエ諸氏。作家と文芸評論家の関係でしょうか。漁師と寿司職人の関係ではないし、作曲家と演奏家の関係ともちょっと違う。やっぱりワイン作り手とソムリエさんとの関係としか表現のしようのない面白い構図がここにあります。

 特殊な作物でありながら、実際はとても簡明な性質を持ったワイン用ぶどうを育て、果実を得るところが第一の喜び。その果実を失敗なく一人前のワインにする、それが第二の喜び。飲んだお客様に、これ美味しいねと言われて三度目の喜び。本当に楽しい世界です。

 片や、余り事情を知らないワインを飲んでみて、まず何と表現しようかと悩み、次にどんな料理とマリアージュすべきかと深く考え、更には自分の判断を周りの人が何と言うだろうと気をもむ。皮肉でも何でもなく、ソムリエさんて大変だなあと思います。他人の作ったワインを他人に飲ませるために独り奮闘するのですから、これはどう見てもキリスト的です。

 これは職業の違いだからどう仕様もない。とは言わず、ソムリエの皆さん、ワイン作りの世界に入ってみませんか。一日だけじゃなく、本格的にですよ、人生を賭けて。ひとつだけ良いことを教えてあげます。自分で作ったワインを一番気に入るのは作った本人だ、ということです。意味深ですか?やってみれば分かります。